2024年11月 現在
◆「 'SQUARE UP' WALKS」(決算講義行進)はこちら
2021年11月、越励学院の院長阿南巌(くまな いわお・旧姓平元)はその二人の娘とともに上京し、安倍晋三及びその9人の代表的共犯者の職権濫用罪を公文書をもって立証することができるようになったため、並びに、時効も完成しないことから同容疑者ら10人を2022年4月に警視庁に告訴した。だが、警視庁と東京地検特捜部はその不備の無い告訴状を蹴り、犯人らを野放しにした。同年7月、大勢の日本国民の仇となっていた安倍晋三は路上で撃たれ、即死した。
九州にて「越励学院」(えつらい学院)を設立した父子はその活動方針「あらゆる裏事情を露骨に打ち出す」に従い、新宿駅東南口前にて毎週「公義の訴え」(黎明と解洗脳の公衆講義90~120分・22年4月〜8月)を17回にわたり実施し、随時、週刊紙「場問」(ばとん)を作成提供した。
同年9月20日公開の「東京火山」をもって、都内の練り歩きを開始。2013年11月当時に安倍晋三の指図のもとでの違法逮捕に始まった院長一家に対する事件の解決が9年後の2022年にも一切無かったため、同秋は、都内の路上にて公職者に対する院長の叱責が続いた。さらに、2017年6月に日本国民に対して撲滅発言をした二階俊博による安倍の国葬に関する国民への「黙って見送れ」発言を引き金に、院長は「これから全国的に朝鮮人問題が表に出る、表に出さなければならない、表に出す、つまり墓開きの時が到来した」と9月24日に官邸前で発表した。そして、いかなる公的機関もこの「世紀の一件」を正そうとしないため、第一にアメリカ、第二に秘密結社、第三に母体(安倍の母体と戦後アメリカが在日朝鮮人を手先に敷いた国内の構造)が潰乱状態となることを同月及び翌10月に官邸前をはじめ都内の路上で広く宣告した。
仇 討 越 え
久しくご無沙汰しています。
大分県竹田市にて「開戦阻止」を掲げ、その「子らの笑み」(子の将来を守り少子化を乗り越える)活動を続けましたが、何の興味も関心も無い市民を後にし、次の世代への想いがまだ多少残っている小国町に引越すことにし、昨年(2020年)の5月に熊本県阿蘇郡小国町下城に移ることができました。さらに、特別なご縁により、第二次世界大戦において犠牲を払った歴史ある武家との養子縁組によって、それまで散々汚されけなされた「平元」姓を手放し、赤旗を守り続けた阿佐家の南へ移り住んだ同胞の背景を持つご家族とにより、「阿南」(クマナ)に改姓することができました。実に大きな喜びであります。連絡が遅くなりましたが、今後とも、よろしくお願いします。
活動内容に関しましても大きな進展があり、集落で広く投函しました文書(次の❶~❹)に記載のとおりとなりました。まさに、個人的な経験と視野が史実によって新たな固い基盤となり、これから起こるべき、分離運動に力を投じます。しかし、やはり小国町においても殺気を感じるようになったため、本日4月8日に次の文書(❹)をもって日本国家のための強い幸意識を持つ方々に我々親子三人の一時期的な保護をお願いせざるを得なくなりました。今後はインターネットも使用できなくなりますが、皆さんとの縁がなくなることが決してないよう、願っています。そして、当分の間、主に執筆と関係者との面会等に専念し、戦後75年にわたり日本国民を虐げてきた在日朝鮮人(稀に例外あり)とわが国の幸を求める日本国民との分離が進むために、この仇討越えの分離運動に全力を尽くします。活動名は「越励」(えつらい)です。
協力者の皆さんには是非、次の「確たる歴史の声」、「菅総理を放り出そうと」、「確認済み」の文書を印字していただき、その書面の末尾に「仇討嘆願」と活動名「越励(えつらい)」を添えていただき、その新たな書面をコンビニ等のコピー機でコピーしていただき、夜や朝方に多くのお宅に投函していただきたいです。我々はしばらくの間、保護されることになりましたので、どうか皆さん、心配なさらず、なるべく多くの日本人にこの内容が伝わるように、とにかく無選別に投函し、これらの文書を日本中で広めてください。
時が満ちましたら、表に出ます。そして、「越励」の意味をも明かします。
それでは、皆さん、達者で。
2021年4月8日
阿 南 巌
文書❶ 坂下・本村の皆様へ
朝鮮まみれ、そして恫喝も著しく多かった千葉県の富津岬で七男二女の父親として20年近く若い世代を見守り、教育活動を通して次世代の健全な育成に尽力していた。その際に受けた挑発の一例を挙げる。ある日、我々大家族に対し汚い口で悪口を広めている者が居ることの固い証拠が手に入ったため、その千葉県富津警察署の署長(あるいは前署長)の自宅へ直接行き、本人に対し「私の家族に対する悪口をすぐさまやめるように」と求めたところ、あの男は何らかの良心の呵責を感じながらも「そんなこと言ってねえ!」と事実を否定した。だが、書き手の譲らない顔を見て信用(・・・)を得ようとした彼はもう一発、なんと、時代劇のように右腕で右肩を露出し、入れ墨だらけの胴体がむき出しになった。そして再び、「オレは信頼できる」と強調した。
2020年(昨年)5月、ようやく移住の長旅を終え、この小国に無事に到着することができたことは実に喜びであったが、人情や戦前の日本の人間関係の価値観を大切にしてきた身として、今月7日に起きた公民館での一件を決して見過ごすことはできない。
すなわち、7時過ぎから18時までお店の仕事をし(次女)、先月上旬に非感染型脳炎を発症した父親を連日看病しながらその日も仕事から帰宅(長女)後のリハビリの手伝い、そして18時過ぎに一緒にお散歩から帰宅するやいなや、19時に地区の総会が始まった。これまで新しい住人として地区で自己紹介をする機会も与えられなかったなか、姉妹は父親に代わり初めて総会に出席した。出席した二十数人のうち、顔見知りは二、三人のみだった。総会中に配布された資料に記載の1万円の寄付について判然としない事があったため、20時頃に新館長選出の総会が終わり、旧新役員以外の人が帰路についた時、姉妹は部屋の脇で待つ事にした。やがて、旧新役員のやり取りも終わり、坂下2組の組長は早々に退室した。そして、この日まで坂下2組と本村の館長であった人物をはじめ数人が残っていたが、皆、顔と名前が一致しない半ば初対面の男達であった。そこで、その彼が館長であった間にあったと言われるその寄付に関する簡単な事務的質問を姉がその館長にしたところ、質問者の明確な言葉が打ち消されるほどの声量で館長が突然そして根拠なく、質問者の内容をなぎ倒すように「公民館は個人の話をする所ではない!」などと言い放った。前触れなく、その大声と怒りを目の当たりにした姉妹はそれを「怒鳴りつけられた」としか位置付けることができず、この出来事が影を落としている。
姉妹は驚き入ったものの、萎縮の効き目は一切なかった。だが、公の場で、まして理由もなく、若い世代、それも女性がいきなりに男の感情的な爆発にさらされることは放っておけない事であるため、私は父親として、後日、坂下2組の組長兼新館長を介して、謝罪を求めた。しかし本人は言い訳を使い、逃げた。この挑発的な出来事とその未解決事態ゆえに、阿南(クマナ)家は、今後、区費は払うものの地区の行事に参加すること、協力することはもはやできないと新館長に伝えた。
本文書の目的は、誰かを在日朝鮮人だと決めつけることではなく、書き手が今まで在日朝鮮人によって数多くの怒鳴り、脅しや恫喝、さらに誹謗中傷(根拠の無いひどい悪口とそれによって相手を傷つけること)を経験してきたため、その多くの在日朝鮮人のこの問題の歴史的観点を自ら調べあげ、その内容を右ページに記載のとおり、皆さんに伝え、日本国民に希望への道筋を示すことである。
2021年3月20日
小国町下城658番地・阿南(くまな)巌
文書❷ 確たる歴史の声
日本社会には75年にわたり、在日朝鮮人の振舞いによる深い爪痕が無数にできた。連中は正体を隠しながら「オレも日本人だ。」と固く言い張るが、批判を言葉にする人に対して、その自称の直後に不気味な笑いをもって「彼ら(在日朝鮮人)に嫌われるよ」と加えることこそ、自分があっちの国の者であるとの実態を自ら明かすことである。
しかし、彼らがどんなに侮辱を吐いても、また恫喝を働き、暴れ出すとしても、事の大きさのために冷静さを失ってはならない。歴史に刻まれている事実がある。第二次世界大戦後間もない時に、つまり、彼らが日本社会における自分達の居場所を必死に探していた頃、彼らは尊厳を捨ててまでアメリカ側にひるがえり、アメリカの靴底を舐(な)めるかのような多くの経験から劣等感と健全でない精神状態に陥り、その状態ででアメリカの悪質な手先となり、政治の闇から通名(氏名を色々と変える事ができる権利・犯罪実行後に身分証明書等の氏名をも簡単に変えられるため、捜査する警察にとっても厄介な問題)や公職階段などの「特権」というわが国を解体するための道具を与えられ、世界が何も知らないまま今日までそれらを使い、影の第三者のためにやはり悪質な行為を重ね、濃い悪を働き続けている。また、誠に残念なことに日本人でありながら彼らと折り合い、彼らの不正を隠すエプロン達になった者も少なくなく、これらの者どもは、自らがいかに最低な決断をしたかをはっきりと認識しているため、平和的に暮らそうとする人に対し、理由なく挑発的で攻撃的に振る舞い、その言動には限度も終わりもない。だが、彼らも半世紀以上にわたり悪用されてきたことを忘れてはならない。
これから日本の将来を切り開くために、それらの不正の鎖が切断されなければならない。いかにも、その悪魔的構造は彼らによってではなく、アメリカによってしかれたものである。
人間らしさの大仇 ― それは、単純に「アメリカ国民」ということでもない。それは、アメリカ社会にも毒を撒き続けてきた「アメリカス」とも呼ばれる、国の道徳意識を完全破壊してしまった肩書狙いと支配欲に狂った少数派である。現に、この少数派は戦前からアメリカ政府を牛耳っている。そして実に、あの占領軍(GHQ)がこの少数派の会員から成っていたのであり、この流れで日本の戦後政界が形成された。疑問を呈す国民に対しその追従者は「日本は戦争に負けたから仕方がない」、「アメリカのお陰で日本がある」などと開き直る。そして、世界の前で日本国憲法が日本国民の言論の自由を保障しているなかで、悪人としてのアメリカスの実態を突き止め打ち出した書き手をこの世から消すべく企てた安倍内閣は、2014年の1月に裁判も判決もないまま書き手を千葉刑務所に投獄し、肺炎をわずらわせるために氷点下の独房に収容した。今日までの7年間、全ての公的機関、全ての裁判所、そして全てのメディア、さらには国連までもがこの違憲投獄事件をこぞって殺葬してきた。事件の確たる証拠の原本資料は書き手の元に届いたため、安倍晋三による牧師殺害未遂兼大臣悪用職権濫用罪として世に出るようになり(ホームページ「仇討嘆願」など)さらに2018年1月に、この首謀犯は書き手によって刑事告訴された。
アメリカスは冒涜(ぼうとく)の法までをも作り、その流れの代表的町はニューヨークである。神を冒涜することが人間の権利であると主張し、ニューヨーク州では毎年、定められた日に実際に神を侮辱・冒涜し、祭りとしてその日を祝う。これらのアメリカスは日本の解体、そして在日朝鮮人の見苦しい手先加勢やチンピラ実態などを今後も継続させようとしているが、コロナウィルスによって、あの冒涜らの企ては既に大きくかき乱された。
神への畏敬の念を持つ日本、韓国、全世界の人々へ。もはや団結の時が来た。今しばらく、攻め、苦しみに耐え、試練をも乗り越えよう。正義と真実、そして人間同士の価値観を尊ぶ人は、夜明けを見る。
この言葉を広めよう。九州を筆頭に、時代の変わり目に差しかかっている。 以上
2021年3月20日 小国町下城658番地・阿南(くまな)巌
本文書は小国警察署に送付されている。
文書❸ 菅総理を放り出そうと
2021年4月2日
アメリカにとり、菅は日本っぽすぎる。日本人と在日朝鮮人との間に全国的な分離運動が始まった今、アメリカはピリピリしている。彼ら以外に誰が、このデリケートな時点、つまり、バイデン大統領との初めての会談を前に、菅総理の退陣を求めることができよう。野党の声は演出に過ぎない。だからこそ、この解散急展開が熱血朝鮮特使によって公に投げかけられたことが絵になる。朝鮮パチンコの金で権力を掌握した安倍晋三の朝鮮政治を受け入れない人々に対し、2017年6月10日にあの撲滅発言をした、老いた衰弱した男、二階俊博。この戦後75年の間、自民党への入党を許可された日本人がいかに少ないか、彼が一番分かっているだろう。つまり、アメリカはこの歴史的な時に、安倍晋三が彼らによる悪質な日本政治を文句なく飲み干したように、そして、メディア界による全面芝居がようやく崩れ落ちる時に世界を恐怖に包むその負の遺産を残した安倍のような者を欲しているというわけだ。
書き手は菅が総理になる以前から安倍晋三の下での著しい化膿状態について繰り返し内閣宛に手紙を発送してきたため、書き手の政治団体の名称「全民党」はよう知られているだろう。そして、今もまた言葉を送る。
菅総理、最後の切り札を使うべき時が来た。国民に対する2012年12月26日の公の約束を果たす時である。谷垣禎一のような消極さと隠匿は、死よりも不名誉である。今後、なんじの氏名が、恥意識もなく、かつ、国民を裏切った売国の岸信介という人物で自らを誇ったあの安倍晋三の隣に列挙されることが無いように。
全民党会員一同は、なんじの妥協の産物であるその個人的な絶望を捨て去り、正義のために奮起し、無血の闘いのために刀を抜くよう、なんじに呼びかける。すでに他の国民がこれを決し、行動を続けてきたために、この分離運動が今、実際に始動することができたことを励みに。
阿 南 巌
本文書は菅総理宛親展書留郵便として既に送付され、今月4日に配達された。
文書❹ 確 認 済 み
「確たる歴史の声」(3月20日付)の投函より13日が経った今、わが集落は妙な静けさに包まれている。所どころ会議や二次会も行われているが、以前には無かった重い空気を感じる。この新しい事情をどのように受け止めればよいか。阿南(くまな)家と今後どう接したらよいか。そして、例の歴史認識。ところで、投函以前は朝鮮側に立っていた人が皆、それをただ単に笑い飛ばしていた。だが、今はもう違う。もちろん、投函された文書と内容は様々な形で分析された。名誉毀損に該当するか、矛盾や虚偽は見あたるか、など。その異例の内容はわが集落ばかりでなく内閣や太平洋の向こうまで、戸惑いの波を引き起こしただろう。しかし、黙り込むことはいかにも脆弱(ぜいじゃく)すぎるため、色々と指示も出され、書き手の人物像も話題になっているだろう。実に、創価学会のような全国的朝鮮組織がこの小国においてもその歴史認識に対してすぐさま激怒したこととは対照的に、一般国民の反応には二種類ある。一方は、内容に応えるような丁重な挨拶をするが、他方は、すぐに目をそらすか復讐の考えでこちらをガン見する、である。まさに、この町の反応が事の大きさを語っている。
書き手阿南巌(父子家庭の父)の人物像に関する重要観点として、①2000年に妻を46歳という若さで癌によって亡くしたこと、それも②千葉県富津市における国際学校設立企画の責任者を夫婦で務め、認可と実現へ向けた尽力の真っ最中に亡くなったこと、そして③元気で明るい大家族の母がその短い闘病生活の末、奪われたこと、が客観的事実としてある。そこでどこかの心理学者は、その深い打撃を克服することができず、また娘たちに対する病んだ希望を抱くその著しく崩れやすい精神バランスが、切り立った反応と露骨な歴史認識の原因だ、と言っている。
しかし、ここで強調すべき二つの観点がある。一点目は、その立場を危険にさらしたくないために公の場での発言を避けている他の歴史学者や専門家も、私人としての会話においては書面にあるような多くの内容に同感している事。二点目は、書き手の両親もまた宣教師(忠実な宣教師は、社会の一部や団体に偏ることなく、真実のために一生尽くす事を誓い、その約束を守る。)として1951年にここ日本に来ては多くを知った事、そして、その自らの経験と福祉活動を通して得た情報、すなわち当時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)ができればいつまでも消し去ろうとする事々を、後を継いだ書き手に伝えた事。実に、真実を監禁する事は出来るが、それを消し去ろうとする者は、逆に真実への注目を引くのである。つまり、あの確たる歴史の声が書き手の「人生の荒波による怪我」によるものである、とすることはもはやできない。
今後、活動を続けるにあたって、まず75年にわたり生き埋めにされた多くの史実を国民のために明確に示すことが不可欠であり、国民との直接の会話を通して追加情報を得ることも大事だが、この2週間、やはり命にかかわる事を強く感じるようになった。朝鮮側は何が何でも、この分離運動の息の根を早く止めようとしている。また、考えを変え正義の道に入ろうとする朝鮮人がその同胞らの怒りを招くことも言うまでも無い。
実は、本年1月、書き手はそのウェブサイト「大なる偽りと壮大なる真実」(URL https://itsuwari-shinjitsu.wixsite.com/tokyo2020 )の続きの内容を4週間にわたりほとんど毎日パソコンで書いていた。既に公開されているその内容からも分かるように、それは「アメリカス」(人間らしさの大仇。アメリカスはアメリカ社会にも毒を撒き続け、国の道徳意識を完全破壊してしまった肩書狙いと支配欲に狂った少数派である。現に、アメリカスは戦前からアメリカ政府を牛耳り、冒涜(ぼうとく)の法までをも作り、その流れの代表的町はニューヨーク。神を冒涜することが人間の権利であると主張し、ニューヨーク州では毎年、定められた日に実際に神を侮辱・冒涜し、祭りとしてその日を祝う。人差し指と小指だけを立てるツノマークを使う者たちは皆この悪の輪を強調している。その合図は悪魔崇拝の儀式で始まったものである。アメリカスは日本の解体、そして在日朝鮮人の見苦しい手先加勢やチンピラ実態などを今後も継続させようとしているが、コロナウィルスによって、その冒涜らの企ては既に大きくかき乱された。)にとり、大変化の地鳴りを最もはっきりと感じさせるものである。そこで、1月の下旬、アメリカ軍の戦闘機が超低空飛行で書き手の自宅と敷地の真上を飛ぶようになり、時には3~5機が同時に飛行し、今にも墜落するかのような騒音と窓ガラスの振動がともなった。それはなんと、1週間以上にわたり、連日のように続いた。そして、翌2月5日の午前中、大きな窓の部屋でパソコン仕事をしていた書き手は突然、鉄砲で頭を撃たれたかのように、その脳に異変が起こり、脳圧が著しく上昇し、あまりの圧に頭が破裂するような痛みに襲われた。時間が経てば経つほど熱も上がり、脳圧からの解放はおろか、心臓のひどい圧迫も加わり、一睡もできないまま苦しみと生死をさまよう三日三晩が続いた。意識ももうろうとし、食事はもちろん水分も摂ることができず、寒い冬の昼夜、親子の祈りと叫び声が上がった。
その後、天の神のあわれみにより奇跡的に後遺症の無い回復が与えられた。当時、救急搬送や入院はせず、自宅で療養することが決まったが、熱が下がった後も、脳の働きが激しく妨害されていたため、一つの考えを次の考えにつなげることができず、時計の針を読むことも全くできなくなっていた。絶対安静を守り、昼も夜も寝る時間が大半を占め、理解できないことも様々あった。また、方向感覚も失われ、住み慣れた古民家のふすまの開け閉めの原理すら全く理解も記憶も無い状態。そして、約2週間後に行った簡単な引き算では、どうしても答えが合わない。1ヶ月以上寝たきりの状態が続き、歩くこともできなくなっていた。専門家との相談などにより、1月から2月にかけて1ヶ月以上にわたり外部と一切接触していなかったなかで、まして何の前触れもなかったことも加え、非感染型脳炎であったことが判明した。医学的にも非常に複雑で、死亡率も高く、後遺症も多い脳炎。あらゆる情報源によって、なんと、非感染型脳炎は異常な電磁波によって人為的に招き得るものであることまでもが判明した。すなわち、徐々にその恐ろしい実態がパズルのように見えてきた。脳炎を発症したその2月5日に、連日の軍機の超低空飛行がその日にピタリと止んだことも物語っている。
なお、アメリカスの攻撃に加え、朝鮮側の観点をも挙げる。下城に引越して間も無い頃、ある晩に住まいである古民家に帰宅するやいなや、台所の窓から灯油のきつい匂いがしたため、すぐに調べた。すると、お風呂のタンクからボイラーへと流れる灯油のチューブの継ぎ手が工具で開けられ、灯油が漏れていた。すぐに職人に現場を見てもらい、大変驚いた様子で「これはとても普通ではない」と証言。書き手家族が不在の間に在日朝鮮人が敷地の奥まで侵入し、何らかの形で放火の下準備をしたことが分かった。また、時折耳にする出火元不明の建物火災はつまり、証拠隠滅にもってこいの手段である。現に、書き手が子どもだった時、両親がアメリカよりでは無いことを知った近所の朝鮮人が横浜西区にあった書き手家族の自宅そばの物置に火をつけ、瞬く間に火柱が上がった放火事件が発生している。アメリカよりで無い白人は、在日朝鮮人にとり、くせ者である。たとえ、日本国籍のみを有しているとしても。遅かれ早かれ、この世界的大問題が明るみに出ることのきっかけに成り得るため。
相手を背後からやつけようとすることも在日朝鮮人の一つの特徴であり、書き手が経験した残忍な攻撃の一例を加える。若い頃から眼鏡を使用しているため、これまで何度か目の状態に合わせて、或いはレンズ劣化のため眼鏡を作り変える必要があり、数年前もそうであった。そして、新日本製鉄株式会社の本社があった町の一番立派な眼鏡屋を勧められ、それまで10年ほど使用していた眼鏡の度数も良く視力も落ちていなかったため、その眼鏡をも一緒に持参し、検査等を受け、新しい眼鏡を作ってもらった。しかし、その新しい眼鏡を使用し始めてから数年が経った昨年のある日、突然、片目に異変が起こり、目の前が墨汁をこぼされたかのような視界になった。そして生活に著しい支障が出たため、専門家の検査を受け、ここ数年使用していたその新しい眼鏡をも調べてもらった結果、その片目の中心と片側のレンズの中心とが、なんと明らかにズレていることが判明した。片レンズのズレであるため、普段生活ではまず気がつかないもので、知らぬ間に目の負担が継続的に増し、突然、目が見えなくなってしまったことである。専門家は、以前の眼鏡が現物としてあったわけだから、このようなレンズ製造の間違いは、悪意がある時にのみ起こる、と指摘した。実に、あの眼鏡屋とは何の接触もトラブルも無かったため、全く裏から相手の生きる力を奪うとは、誠に卑劣である。事後的だが、あの者も在日朝鮮人だと知った。日々の生活の大変な負担と苦労、故意に失明に至らしめたこと、本気で後悔しない彼を、決して赦さない。
これらのことを経験し、書き手とその娘たちは命の危機を感じるようになっている。しかし、これまでの道のりは、決して後悔しない。そして、日本国民の解放のために、これが避けて通れない道であると確信しているため、家族として今後も覚悟をもって命を投資することに変わりはない。だが、これからも多くの内容を分かりやすく文書にしなければならないなかで、執筆に集中し、特定の人と面会できる安全な環境が不可欠となっている。
歴史を見ますと、ヨーロッパの宗教支配から国民を救おうと尽力したマルチン・ルターもまた命の危機にさらされていました。このため、彼はある貴族によって、その敵らの手が届かない「Wartburg」(文字通り「待て城」)という意味深い場所に匿われたという事例があります。我々もまたこの祈りを心に、強い国家意識のある方々に、空いた蔵などの場所があれば、ぜひ我々(親子三人)を一定期間、保護しますようにと、図太くお願いする次第であります。
以上
2021年4月4日
小国町下城658番地 阿 南 巌
この両文書は、小国警察署にも送付されている。
※ 文書❶10行目における本村・坂下公民館総会の月日「今月7日」を「先月28日」に訂正。
仇 討 嘆 願
東京オリンピックに潜む仮面とその正体はこちら
日本国の幸を求める国民の皆様へ
本年(2016年)4月8日に在日ロシア大使館にて政治亡命を申請しました「3人(父娘)のスイス系日本人」の張本人です。
仇三人は、日本国憲法に反してまで私たち姉妹の父を投獄し、父を「務所上がり」にしました(公権力によるこの違憲投獄を証明する固い証拠資料4枚は次のとおり、初公開)。そして、犯罪者の濡れ衣を着せたことにより、父の牧師・教育者・全民党会長としての評判及び名誉並びに実績を悉く殺したのです。
この甚だしい問題の解決を求め、釈放された2014年(平成26年)2月12日以降、多くの国家賠償請求訴訟を提起し、事件に関与した公務員らの違法行為とそれにより30年以上にわたりこの日本国のために活動してきた父が被った有形無形の多大な損害を訴えてきました。しかし、勝訴の見込みの有無を判断する段階で合計数億円分の勝訴の見込みがあることが裁判所によって判断されたにも拘らず、仇三人が上級公務員らであるために裁判所は全ての訴訟の審理過程を通じて被告らを全面的に庇い、我々原告らの法に根ざした権利を踏みにじり、父の名誉回復を故意に阻んできました。
そればかりか、後述のとおり、今年に入って、弾圧としか言いようのないこの違憲投獄事件に関して、警察組織、法務省ばかりでなく、検察庁、さらには裁判所そのものまでもが背後で結託していたことが判明しました。
その後、我々は父に対するこの人権問題を国内外の報道機関やアムネスティ・インターナショナル・ジャパン、さらには国連などにも書面で訴え、解決を求めましたが、いかなる機関もこの大問題を完全に黙殺しています。
当時、藩主たる大名がなしたように、今、直接の対面の場を与え得る唯一の権力者は、国民であります。これこそ、まだ改悪されていない日本国憲法に明記された国民主権であり、この問題の唯一の解決でもあります。
したがって、国民の面前で仇三人の名誉や政治生命が問われる、非暴力的場を強く求めます。
これは、国民お一人おひとりがあらゆる手段をもって声を上げてくさることによってのみ、現実となります。
3年スパンと分岐点 ― 2019年9月
第一 この違憲投獄兼牧師殺害未遂事件に関心を抱かれた方々に心より感謝します。
険しい36ヶ月が経ちました。そして、この事件の解決へ向けた公的機関の進みという報告内容が全く無いなかですが、やはり真実をもみ消すことができないという日差しも見えてきています。
実は、2016年4月8日、家族のルーツのあるロシアに亡命すべく、その朝に在日ロシア大使館にて、この事件の関連証拠資料等、厚い三部を職員に手渡し、正式に亡命申請をしました。その際、その中身を確認したロシア大使館職員が「本件を正式に調査します。大統領が決めますので、返事を待つように。」と固く約束してくれました。しかし、待機の期間は数週間から数ヶ月になり、とうとう一報も一筆も、つまり何の返事も無いまま、濃霧のような長い長い、不安の約2年が経過してしまいました。途中、こちらから在日ロシア大使館に確認の電話をも入れましたが、職員が理由もなくその電話を切るという、信じがたい有様となりました。これは、待機期間中の報道にもあったように、やはり、プーチン大統領が安倍と親密な関係に陥ってしまったその悪しき展開のためであると言わざるを得ません。
日本の公的機関、ロシア側、国連や人権団体、そしていかなるメディアからの対応も何一つ無いため、また、関東では人間性を捨てた者たちが上に立ってしまっているため、とうとう、その関東を捨て、車一台で九州へ移住することを決めました。この移住の前に、我々は、長い待機の間に収集し続けた証拠をもって、2018年1月9日に、主犯である安倍晋三を職権濫用罪でついに刑事告訴したのであります。
このように、警視庁に提出された200頁から成るこの告訴状をもって我々は、権力腰元の関東全体を決して赦さないという意味の終止符を打ちました。
この告訴状には、法的不備もなく、告訴状原本は今なお東京警視庁並びに大阪の地方検察庁にあるわけですが、最も嘆かわしいことに、これらの公的機関は、安倍容疑者に対する法的義務を、即ち、犯罪者を逮捕勾留し厳しく処罰するという責務を、傲慢に怠り続けています。
第二 移住の長旅はじまった2018年3月から14ヶ月にわたり定住地を求め、ようやく本年(2019年)3月に大分県竹田市にたどり着き、5月の8度目の引越しにより根を下ろすことができました。そして4月、竹田市長の首藤勝次様にこの違憲投獄事件及び九州入り後も続く極悪の誹謗中傷等を打ち明け、証拠資料をも提示しましたところ、「これは正に濡れ衣だ。竹田市はあなた方を受け入れます。そして竹田のための尽力を歓迎します。」という素晴らしいお言葉をいただきました。
また、「先手を打つ」意味で、この一件を我々から竹田市民に全面的に打ち明けることをも了承していただきました。これを受け、我々は竹田市の総合文化ホール「グランツたけた」にて、4回の講演を行い、その10時間にわたり、移住と切り離せない関係にあるこの事件の真相や詳細を解説しました。
第三 なお、この展開の最中に決して見逃してはならない政治における重要な二観点もあり、次のとおり、意識すべきであります。
違憲投獄事件発生の背景に、書き手が、アメリカの日本に対する振舞いと内政干渉を問題視し、活動し続けた観点があることを視野に入れますと、事件当時、法務大臣として事件に関与した谷垣禎一が2017年9月20日に政界を引退する旨を記者会見で発表したこと、及びそのタイミングに、ただならぬ意味が含まれていることが分かります。
すなわち、首相としての安倍晋三が数日、アメリカに滞在していたその間に、長い政治家人生の引退会見を行ったことから、やはり、谷垣さんが安倍晋三との立ち位置の根本的な違いを表明した、と言っても過言ではありません。
谷垣さんのいわゆる自転車事故(2016年7月下旬)に関する詳細情報をも視野に入れますと、元戦友たる谷垣さんに対する安倍晋三の最低な姿が浮き彫りとなります。①上述の刑事告訴の核心でもある、法務大臣に対する圧力の事実、②自転車事故直後のお見舞いを固く拒んだ事実、③政界引退会見の約1年後(2018年10月)に、谷垣さんに似た偽谷垣を利用し、谷垣さんが車椅子姿で官邸を訪れ謝罪したとの屈辱的なニュースをでっち上げ、その上、車椅子に座り満面で笑っている姿を偽谷垣に演じさせ、今後の活動について谷垣さんがマッカーサーの有名なセリフ、すなわち「老兵は死なず消えゆくのみ」を引用した、と報道させ、谷垣さんを国民の面前で恥に晒し、底知れぬ苦痛を与え、歴史の不名誉人物一覧に貼り付け、人権を著しく侵害した事実。そして、全く屈している報道機関も安倍容疑者の指図どおり、2017年の政界引退会見を完全無視し「谷垣・前自民総裁(自転車事故以来)2年ぶり公の場」や「谷垣禎一氏が安倍首相と面会、2年3ヶ月ぶりに公の場」などと甚だしい偽りを報じました。
しかし、映像がテレビで流れなかったことやこのニュースの動画も皆無であったこと、そして肝心な音声も一切ない静止画のみのネットニュースであったことは非常に物語っています。また、谷垣さんと偽谷垣の違いとして挙げられる特徴は、偽谷垣の目が二重でないこと、眼鏡をかけていなかったこと、顎の骨のラインが極端にはっきりし、首の著しい太さや首と顔の明確な区別がまるで元格闘家のようである点などであります。
周知のとおり、谷垣禎一さんのいわゆる自転車事故後に、代わりに自民党幹事長となり舞台に上がったのは、安倍晋三の政治理念の親とも言われている二階俊博であります。
あるきっかけにより、書き手は2017年6月上旬に日本テレビや特定の報道関係者宛の手紙において、日本社会の大問題となっている朝鮮問題に触れ、「元スイス人が日本の朝鮮毒まみれ社会を見抜いていることに、怒り狂っているだけだろ。」との内容を送りました。すると、その数日後に、なんと二階俊博が安倍総理の特使として、だが理由が報道されることもなく突然、韓国へ派遣され、そこで、引き攣った顔で毒発言を吐いたのです。つまり、「日韓関係を遠ざけようとする人がいる。一握りかもしれないが、彼らを撲滅するように・撲滅したい・撲滅してほしい。」であります。この流れにより、実に安倍も二階も、朝鮮、さらには済州(チェジュ島)の色を濃く帯びている結果が出ています。
よって、この場を借りて、昨今の日韓関係悪化という形で、あの撲滅発言に対する歴史による答えが二階俊博の顔面に投げつけられたことを強調する。つまり、今の日本政府と言われている政府の中の一握りの政治家が、日韓関係を把握することや進路等を決めることができる、というものがどれほど愚かな妄想であるかが判明したと言えます。
あの撲滅発言は、実に「安倍麻生内閣によるテロ予告」として歴史に刻まれました。このような血まみれ発言をし得る者は、一刻も早く罰せられるべし。
第四 以上、この重要な内容を基に次のとおり、結論を出します。
その一
2016年に仇となった谷垣禎一さんは行動範囲が著しく制限されている状況で、2014年1月の違憲投獄実行に先立った安倍晋三の命令に従ったことが間違いであったこと、及び、その言動を反省していることを、行動をもって国民にお示しになった。すなわち、違憲投獄に関する後悔を表したため、我々は、谷垣禎一さんを「仇」という籍から解放したことを、ここに、世間に発表する。
その二
安倍麻生内閣が違憲投獄兼牧師殺害未遂事件を起した事実のみならず、我々のロシアへの亡命権利をも略奪したことを認識した上で二階俊博が2017年6月、邪悪な撲滅発言をし、日本国民の幸を求める書き手やその娘達の生命を、全ての法律を踏みにじってまで奪うことを示唆したため、及び、先日の新内閣発足と自民党幹事長続任の形で完全に開き直っているため、二階俊博がこの安倍麻生内閣の違憲投獄兼牧師殺害未遂事件の三人目の仇となったことを、ここに正式に発表する。
第五 相変わらずの取り組みについて
移住を強いられ、千葉県を離れましたが、ここで元の地元、千葉県について、発すべき言葉があります。正義を無視し、人に対する憐れみをも冷淡に踏み潰す行為の結果が著しく表れました。竹田市の総合文化ホール「グランツたけた」にて行われたこの巨大人権問題に関する講演会の最終講演(9月8日)の終了時刻22時が、台風15号が千葉県に上陸したその時間となったことは、恐ろしく意味深いものであります。実は、待機期間中に最後の砦(とりで)として生活をつなげていた私名義になっていた富津岬の建物(要リフォーム状態のため、電気、水道、ガスの無い状況)が私の背後で、それも、この違憲投獄事件の共犯となっている千葉地方裁判所により違法に競売にかけられ、我々から略奪される最中の2017年11月、我々親子は地元の富津市及び千葉市を中心に、「絶壁からの叫び」と題する文章を広く配布し、ライフラインも無いその生活拠点の家を違法に奪い、我々を路上に追いやる裁判所の実態等を打ち出し、呼びかけました。しかし、千葉県民の反応は「みーんな大変だよ。」や「相手は国家権力だから、こんな目にあうのは当然だよ。」、「長い物(蛇)に巻かれろ、という郷の習慣を受け入れなかったあんたたちが悪い」という最も冷淡なものでありました。このように、政府の著しい不正を正当化しながら平然とした顔で振舞い続けた千葉県民が、明確に内房に沿って館山から千葉へと上っていった台風15号の恐ろしい破壊力と打撃、爪痕を経験することとなったことは、実に道理にかなったものであります。
安倍晋三の狂権手段により、2015年9月に強行採決された戦争法(いわゆる安保法制)の条文に、これまで一切問題視されていない事実、さらに与党も野党も完全沈黙を貫いている事実が明文化されているのであります。すなわち、この国際平和支援法第13条には、日本国憲法に著しく反した内容である「徴兵制の基盤」が既に据えられ、その上、一般国民が対象となる文言になっています。そして先日の再確認により、もはや野党もこの事実を否定することができない結果が竹田市にて浮き彫りとなった。
実に、オリンピック騒ぎの裏に潜む日本民族撲滅を企てた戦争であり、赤紙も不要という近代的な召集法は my number (マイナンバー) が一気に die number (ダイナンバー・死の序列番号)に変わることであり、日本民族を戦場に駆り立て、最前線に配置することにより日本民族を、そして日本国という存在自体を撲滅するというものであります。
よって、これから我々はこの大危機を全国的に全国民に意識させ、全力で開戦を阻止するため、また、わが国が絶対に日和見主義者という悪党らによって戦場に駆り立てられることが無いよう、最善を尽くします。我々が今なお、活動に励むことができることは、誠に、唯一の神の憐れみであると確信しています。
「自分の命を保とうとする者はそれを失い、それを(正義のために)投資する者は命を保ちます。」(ルカ17章)と書かれているとおりであります。
2019年9月17日
平元巌並びに討手姉妹
仇 安 倍 晋 三 (あべ しんぞう)
生年月日 1954年(昭和29年)9月21日
職 名 事件当時 内閣総理大臣
現在 内閣総理大臣
仇 麻 生 太 郎 (あそう たろう)
生年月日 1940年(昭和15年)9月20日
職 名 事件当時 財務大臣兼副総理
現在 財務大臣兼副総理
仇 二 階 俊 博 (にかい としひろ)
生年月日 1939年(昭和14年)2月17日
職 名 現在 自民党幹事長
討 手 平元巌の長女
平 元 百 合 子 (へいげん ゆりこ)
生年月日 1988年(昭和63年)4月11日
討 手 平元巌の二女
平 元 未 里 子 (へいげん みりこ)
生年月日 1997年(平成9年)5月18日
(2017年5月18日の成人により討手に加わり、写真ともに掲載)