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事件の概要及び証拠資料

 

 

イ)長年、牧師と教育者として若い世代のために尽力してきた父は、教育現 

 場や家庭環境の悪化を目の当たりにした1990年代より、日本の政治に 

 目を向けるようになり、草の根運動を始めた。その後、戦後の日米史の研

 究をとおして、政界の背後でうごめくアメリカ問題を意識するようにな

 り、日本に対するアメリカの内政干渉を最大の問題と位置付けるに至っ

 た。そして、2010年(平成22年)には、日本の真の主権回復と透明

 で勇敢な民主主義の実現を目標とする政治団体「全民党」を沖縄にて設立

 し、同年秋にその活動範囲を全国へと拡大させ、内政干渉をはじめとする

 戦後のアメリカ問題を訴え続けてきた。

ロ)とりわけ、特定秘密保護法案に関してもまたアメリカ政府による圧力が 

 あったこと、並びに、同法案が明らかに日本国憲法に違反し、国民の権利

 を奪うものであることから、2013年(平成25年)11月、多くの憲

 法学者も警鐘を鳴らすなかで安倍麻生内閣が強引に同法案可決へ向け加速 

 していることを受け、父は、安倍晋三総理大臣及び麻生太郎財務大臣宛て

 に、同法案の廃案を強く求める手紙(同月15日付)を送付した。

ハ)実にその5日後の11月21日、つまり、特定秘密保護法案に反対する

 大規模集会が全国的に予定されていたその朝に、父は、千葉県君津警察刑 

 事課長石井広による虚偽に基づく逮捕状の違法請求、及び事務官上がりの

 簡易裁判所裁判官木崎正による逮捕状の違法発付により、まして、通勤時

 間帯の路上という公衆の面前で見せしめ逮捕されたのであった。名目は

 「(逮捕執行の)2年半前に身内の名誉を毀損した疑い」であった。

ニ)翌日、送検された。その際、通常、法廷ではなく裁判所の一室で、それ

 も法服姿でなはなくスーツ姿の裁判官が被疑者(或いは被告人)に対し

 留質問をするわけだが、父の場合、あの事務官上がりの裁判官木崎正は、

 君津警察の者どもとともに父を人の居ない法廷へ連れ込み、勾留質問もせ

 ずに父に対し勾留及び接見禁止を言い渡したばかりでなく、法服姿で起立

 したまま、父が法廷を出るのを待った。

  また検察庁においても、逮捕半年前の2013年(平成25年)4月に 

 千葉地方検察庁から「配置換え」ではなく「任務」として、西村圭一と

 う男が千葉地方検察庁木更津支部に異動し、同支部の支部長となっていた。

  そして、検察官が上司の手先として検察権を行使するのではなく、検察

 事務に関して個々の検察官が官庁として自ら検察権を行使する権限を持つ

 独任制官庁であるはずなかで、さらに、調べの際に事件担当の荒川検事が

 「逮捕の必要はなかったのに」と言い、「この件はさっぱり分からない」

 と父に対し直接発言していたにも拘わらず、さらには、「もう取調べが終

 わったから言うけど、あなたたちを本当にかわいそうに思う」、「私なら

 起訴しないが。」とまで明確に言ったほどであったなか、その直後に何度

 も「でも、上司と相談しなければならない」と苦い顔で表現したように、

 上司に当たる西村圭一の圧力により、翌12月11日、前科前歴のない父

 は起訴されたのであった。

  だが、これは始まりに過ぎなかった。

 

ホ)千葉県君津警察署留置場での勾留生活が続いた。保釈も認められず、接 

 見禁止も解かれないまま、年末年始が過ぎた。そして、逮捕から63日が

 経過した2014年(平成26年)1月23日、つまり判決はおろか、裁

 判すら開かれなかったなか、君津署留置管理課の課長であった吉田や他の

 留置管理課係員らは父に手錠と腰縄をかけた後に「今日は千葉拘置所へ移

 動になる」との一言を告げ、父を同日中に千葉へ移送した。実に判決言渡

 しの3週間前であった。

 

へ)しかし、今年2016年1月、なんと、そもそも千葉拘置所という場

 所自体が存在しないこと、並びに、父が文字通り「千葉刑務所」へ移送

 されていたことが判明したのであった。

  つまり、父は、一度も法廷が開かれないまま、そして、判決が下され

 る3週間前に、すなわち憲法第31条に著しく反したことに、千葉県君

 津警察署留置場から千葉刑務所へ移送され、投獄されたのであった。

  そして父は3週間の獄中生活を耐えた後の2014年(平成26年)2

 月12日、刑務所から裁判所へ護送され、執行猶予付有罪判決を言い渡さ

 れ、釈放された。

  父が、2014年(平成26年)1月23日から翌2月12日までの3

 週間にわたり、すなわち、判決言渡しの3週間前に千葉刑務所に違憲投獄

 されたことは、今年1月にようやく入手することができた「在所証明書

 (資料④)により、揺るがぬ事実となった。

ト)さらに今年の2月5日、千葉刑務所所長代理として話に応じた総務部

 の太幡淳一は、判決言渡3週間前の父の違憲違法投獄が「法務相の告

 (谷垣禎一大臣)によるものであったことを証言した。

  加えて、この話の際、2014年1、2月の関東地方が例年より寒く、

 表で雪が降る中、父が暖房の一切ない且つ隙間風の多い古びた約3畳の独

 房に収容され、冬季の衣類も無いなか、毛布を体に巻くことすら許されず

 床冷えも酷いなか、昼夜凍えながらの、正に極寒拷問としか言いようのな

 い獄暮らしを強いられたことに関して、太幡は、憲法の最高法規としての

 基本的人権を遵守するどころか、また、刑事収容施設及び被収容者等の処

 遇に関する法律に従うどころか、そしてさらに日本の50歳以上の男性の

 死因第3位が肺炎であることを認識しながら、「中(獄中)に居る者には

 暖房の権利がない。」とまで冷淡に発言し、むしろ違法を働く背後の者

 もが父にこの悲惨な展開を望んでいたことまでもが露となったのである。

 

  実に、安倍麻生内閣による「違憲投獄兼牧師殺害未遂事件」である。  

 

チ)2014年2月の釈放後、父とともに、父の逮捕勾留等に関する関係公

 務員らの違法行為を調べ上げ、それらの違法や数字では表せないほどの損

 害を被った事実等を事細かく訴える数多くの訴訟を提起し、闘ってきた。

  しかし、父がアメリカ政府の内政干渉などの問題を訴えることを止めな

 かったため、また、訴訟をとおして、公権力の数々の違法を訴え続けたた

 め、仇連中は何としても父に数年にわたる刑務所暮らしを強いろうと、企

 んだ。そして、父の執行猶予が実刑に変わることを狙い、釈放わずか9ヶ

 月後の2014年11月、それも父の誕生日の朝に、今度は大阪府警察本

 部の十数人の刑事らをとおして、父を逮捕した。逮捕状を請求した府警本

 部刑事部捜査第四課の警視である本島真太郎(管理官)が大阪地方裁判所

 長であった小佐田潔と結託していたこと、及び、この2度目の逮捕自体も

 違法であったことは後に判明したわけだが、その朝、逮捕された父は手錠

 を掛けられ腰縄をされた姿で通勤時間帯の東京品川駅構内や新幹線内を徒 

 歩で移動させられた。これもまた、見せしめに他ならない違法であった。

  

  だが、連中の思惑通りにはいかなかった。

  

 

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